Opening Song SHINee 샤이니 버리고 가 Better Off
※韓国語題 버리고 가(ポリゴ カ)ーー捨てていって
さらば、わが愛しきベッドーー役目を終えたものに、そっと別れを告げる
先日、ベッドを捨てました。
長い間、私とともに部屋にーー主に寝室に
燦然と君臨していた
お気に入りのベッドです。
小さい頃に使った二段ベッド、
短大で使った黒のパイプベッド、
そして働いてから購入した
パイン材の明るい木製ベッド。
三代目に当たるこの組み立て式ベッドが、
一番長く私とともに過ごしてくれた時間を振り返ると
深夜2時を過ぎてもくもくと解体作業をしたことは
忘れえぬ思い出の1つとなるでしょう。
「基本自分のことは自分でやる」がスタンダードだった私は、
木造の家具になぜかあからさまな愛着を感じていて、
実家にいた頃、業務用スーパーの二階にあった家具コーナーで
このベッドの木の色合いにひとめぼれし、値段を見て安堵し、
喜び勇んで購入したことをまだ覚えています。
この三年ほどはほとんど寝るために使うことはなく、
このベッドの役目は、わたしの部屋の都合の悪いものや
リビングでは受け止めきれないものを積み重ねられても
ただじっと受け止めるために存在しておりました。
本来ならば、寝室にあるはずの素敵なベッドが。
実際には、物置部屋に鎮座する非常用物置です。
役目が違う(笑)
振り返ると。
私は寝ることが大好きなので、常にベッドの上にいましたし、
このベッドでは本当に寝る以外の様々なこともしました。
読書に始まり、映画を見、テレビを見、ゲームをし、創作をし、
音楽を聴き、歌を歌い、踊り、運動をし、電話をし、着替えをし、
おやつを食べ、飲み、仕事をし、調べ、書類を書き、絵を描き、
思索にふけり、瞑想し、怒り、苦しみ、泣き、笑い、ついには悟る――(笑)
そんなベッドも、経年劣化に勝てるわけもなく、
私がベッドの上を歩いて移動していた際に、
足側の床板を裏で支えるフレームが折れ、
踏み抜きはしなかったものの、実家のロフトで
足が沈むほどめり込んだ時は危険を感じました。
けれど、気に入っていたため、床板の向きを変え、
立ち上がって歩きさえしなければ大丈夫だと
騙し騙し使っておりました。
整いつつある部屋の中で、
依然としてラスボスでもある寝室の片付けが、
このベッドを捨てることで
大いなる「アリの一歩」
となることを願ってやみません。
捨てる痛みーー手放すことが、なぜこんなにも苦しいのか
片付ける上で、一番の障害は何か。
ズバリ、それは「捨てる」という行為でしょう。
子供の頃なら散らかっている状態を「ブタ小屋」と例え、
時が過ぎ「ゴミ屋敷」がテレビのニュースに現れるようになり、
「断捨離」が一世を風靡しつつ市民権ならぬ言語権を獲得して、
今なら「汚部屋」というちょっとポップな言葉の変遷を経ながら、
それでも一様にものを溜め込むのをやめられない私達。
その場を片付ける一番の解決法は
「そこにあるものを捨てる」
しかないのです。
ものの量を減らせば、その空間が空くのですから。
昨今「ミニマリスト」という
必要なものだけを残して、あとは手放し、軽やかに生きる
という何とも美しい生き方をしている方々がいらして
羨ましい限りです。
「ものを大切に」
という教えが脳にインストールされている私達の
「家に入った全てのものを(例えゴミでも)大切に」
という誤変換された思い込み。
別の考えが出てきたのは、やはりライフスタイルや
平成、令和という時代の変化なのでしょうか。
結局のところ、私達はものを持ちすぎているのです。
戦後の混乱、物資不足という苦しい時代を乗り越えた私達の先達は、
日本の復興という目標を掲げ、粉骨砕身し、高度経済成長を経て、
今に至ります。
その過程で、たくさんのものを所有することが豊かさの象徴であり、
戦争で失った様々なものを二度と失わないように努力することで
傷ついた全てを補完していくことになりました。
しかし、その「失ったものを二度と失わないための努力」は、
時代が変わった今も、私達の心の奥に静かに残り続けています。
物を手放すことへの不安。
まだ使えるものを捨てることへの罪悪感。
いつか必要になるかもしれないという恐れ。
それらは、単なる性格や怠惰ではなく、
日本という国が歩んできた歴史そのものが形を変えて
私達の中に今も静かに息づいている証なのだと思います。
「ものを捨てる」
それは、
喪失であり、
決別であり、
欠落であり、
悲劇でもあるのです。
まさに、仏教用語で語るならば、
『愛別離苦』ーー愛するものと別れる辛さ
となります。
こうなると、
鼻をかんだ用済みのティッシュでさえ、捨てることができなくなる
という恐ろしさ!
そのような辛さはいらぬ!(笑)
と声を大にして汚部屋の中心で憂いを叫んでみても、
捨てられるわけもなく。
この痛みを伴う悲劇的行為を遂行するために、
私達は日々葛藤することになるのですーー
美しい幻想ーー喪失だと思っていたものの正体
けれど、ここで一つだけ誤解を解いておきたいのです。
ものを捨てることは、
本来、
「喪失」 でも、
「決別」 でも、
「欠落」 でも、
「悲劇」 でもありません。
そう思っているのなら、それは「幻想」です。
私達がそう感じてしまうのは、 過去の痛みや、失った経験や、
「もう二度と欠乏の時代に戻りたくない」という深い深い記憶が、
心の奥で静かに息づいているからです。
つまり、
捨てられないのは弱さではなく、 生き抜いてきた証そのもの。
だからこそ、 手放すという行為は「何かを失う」ことではなく、
「これからの自分を守るために、選び直す」 行為へと
意味を変えていくことができるのです。
過去を否定するのではなく、 過去があったからこそ選べる軽やかさ。
その軽やかさを取り戻すために、 私達は今日も、
ひとつのものと向き合い、
ひとつの感情と向き合い、
そしてまた、
ひとつ前へ進んでいくのだと思います。
投げるーー言葉を変えるだけで、心はこんなに軽くなる
捨てられない私達が捨てるためには、捨てるものに優先順位をつけ、
ターゲットを絞る必要があります。
そこでできるアリの一歩は、
「あからさまなゴミを捨てる」
です。
あからさまの定義は、心が痛むかどうかで判断します。
- 思い出を含まないものーー見た瞬間、そのもののエピソードが
甦ることがない(特に良いエピソード) - 思い入れがないものーーどれほどの時が過ぎようと「気に入って持っていたい」と思わない
- 思い残さないものーー当面使わず、すでに使えず、捨てたとしても、同じもの、限りなく近いものを得られる
これら全てをクリアしたものは
「気持ちいい」を感じながら、潔く手放しましょう。
捨てることに抵抗があるなら、この「捨てる」という言葉を
使わないようにしてもいいですね。
私達の住んでいる地方では、「ゴミを捨てる」と言わないのです。
ゴミは「投げる」んです!w
ゴミ投げしてくる。
ゴミ投げてきて。
ゴミ投げよう。
このように使います。
これを知らない方にうっかり言ってしまうと大変驚かれ、
実際に「ホントにいいのか!?」と
放り投げられたこともあると聞くくらいですから。(笑)
でも、みなさん。
子供の頃、遠くのゴミ箱に向かって
バスケのフリースローのように
シュートしたこと、ありませんか?
あれ、楽しかったですよね?
私は今でもやります。
やらない理由がありません。
捨てることが楽しいなら、
「今なら捨ててもよくってよ」と
軽やかに手放せるようになるでしょう。
捨てるという行為への抵抗感をなくしたいのであれば
かなりお勧めの方法です。
みんな。
ゴミ、投げてもいいよw
移動させるーー動かすだけで、心も軽くなる
これ以上捨てられない時にできるテクニックとして
ちもさんに教わったのは、
『押し出し方式』
捨てられないものを、別の場所へ移動する方式です。
ガスやセコムの点検がアパートに入る時や友達を家に呼ぶ時は、
私が知らず知らずの内に使っていた方法です。
私のアパートは1LDK、部屋の一番左奥にクローゼット付きの寝室があります。
都合の悪い、人様には見せられないものは全て、悩むこともせず、
片っ端から運び、投げ込みました。
そのおかげで危機を乗り越え、何事もなかったかのように涼しい顔で
訪問客をお迎えいたしました。(笑)
私ほどものが溢れていない人でも、効果はあります。
別に「民族大移動」のように仰々しく動かさなくてもいいんです。w
散らばってるものを、とりあえず一か所に集める。
左にあったものを右に、右にあったものを左に動かす。
それだけでも見た感じが変わり、片付けられたように錯覚できます。
これは実証済みです。
ぜひともお試しあれ。
また、戸建てにお住いでお部屋に余裕のある方であれば、
一部屋を完全なる物置部屋にすることをお勧めします。
その際は、どうぞ鍵をおかけになってください。
あなたの秘密は完全に守られます。
「鶴の恩返し」のような悲劇は、決して起こりません。(笑)
使い倒すーー使うことで、ものは新しい意味へ変わる
私の部屋には、買ったまま放置されたものがよくあります。
買った瞬間は「必要だ」と思ったはずなのに、
気づけば袋のまま、タグのまま、 時間だけが静かに積もっていく。
けれど、そんな「放置されたまま眠っているもの」こそ、
実は私の生活を楽しくしてくれる応援者だったりします。
片付けを始めた時、まず高確率で目につくのは
捨てられるはずのない推しグッズ。
私と推しの「愛のメモリー」(笑)
松崎 しげる 愛のメモリー
私は、決めました。
「捨てぬなら、使ってみせよう、ホトトギス」by織田信長、豊臣秀吉、徳川家康
私の買って使わない最たるものーー推しグッズ。
最初は、「使えるものだけ買おう」と思っていたものが、
コレクター魂に火がつき、
コンプリートせねばならぬという使命感に変わり、
愛すべき推しの素敵なATMになったものの
部屋に戻れば、床に散らばって、或いはボックスに押し込まれ、
記憶の底だけに満足感として残るという――
だからと言って、捨てるという選択肢はあり得ない。
ならば使い倒すしかないではありませんか。
新品のノートは、決して捨てぬであろうことを見越して
「癒しのお片付け講座」で2冊使い倒しました。
キーホルダーやピンバッジは、普段使いのバッグや
遠征用バッグにつけ倒しました。
買ったままのタオルは、フェイスタオル、バスタオル、ひざ掛け、
トイレのお手拭きタオルとして使い倒し中です。
もらったまま置きっぱなしの、推しとコラボした化粧品なら、
推し活に使う、ソンムル(贈り物)としてあげる、旅行に使う、
家でも使うと、使い倒し中です。
使ってみて初めて、
「買ってよかったかどうか、無駄だったかどうか」
が分かるのです。
使い倒した末に手放すなら、
それはもう「捨てる」ではなく、
「役目を終えたものをそっと見送る、小さなさよならの儀式」
になります。
しまい込むーー向き合える日を待つ、小さな保留
そして、どうしても決められないものは
「捨てるか、捨てないか」と無理に選び、悩み、苦しむような
切ない結論を出さなくてもいいのでは?
と最近思うようになりました。
人には「今は触れられない記憶」があるように、
ものにも「今は向き合えない瞬間」があります。
そんな時は、そっとしまい込んでおけばいいのです。
押し入れの奥でも、箱の中でも、クローゼットの隅でも。
あなたが安心できる場所ならどこでもいい。
そこにあると知っているだけで、自分にダメ出しをせずに、
ありのままの自分を認め、許し、楽に生きていけるーー
そんな存在もあるのです。
大切なのは、「いつか向き合える日が来る」と信じておくこと。
しまい込むことは、
逃げではなく、 心を守るための優しい選択です。
祈りーー手放すことが、未来への小さな祝福になる
ものを手放す時、私達はどうしてもかけがえのない思い出と
幸せだった記憶まで捨ててしまうような気がしてしまう。
でも本当は、 記憶はものの中ではなく、私達の中に残るのです。
だからこそ、 手放すことは悲劇ではなく、
「新しい自分にスペースを作る」という
静かな祝福なのだと思います。
今日の私が、今日のあなたが、
ひとつ手放したものは。
私の未来に、あなたの未来に、
ひとつの希望となると信じて。
その希望が、
私の部屋に、あなたの部屋に、
ついには記憶の部屋にすら。
静かにそっと満ちていきますように。
※Eternal Memoriesーー永遠の記憶
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