1 邂逅
Opening Song 小田和正 生まれ来る子供たちのために
私はきっと憶えている。
あなたの瞳を。
あなたの声を。
あなたの心を。
あなたの魂を。
全てが消え去っても、
私はきっと憶えている。
あなたがそこにいたことを、
私はきっと憶えている――
桜が続く校門までの道を、
入学式を終えたばかりの新入生達が帰っていく。
新しい制服が馴染まないその初々しい後ろ姿に、
ついつい笑みがこぼれる。
「もう散っちゃうんだ」
別館である図書館の窓から覗いていた藤堂美咲は
前庭を囲むように植えられた桜の木に不意に視線を移す。
満開の桜が風にあおられ、
校門を出てゆく影の上を泳ぐように舞う。
乾いたアスファルトに密やかな余韻を残して
通り過ぎていく小さな花びらは、
なぜか視線を放せぬほどに鮮明だ。
いつも、春が来ると美咲は
何か訳のわからない物思いに囚われる。
それがいつの頃からなのか、
もう彼女にもわからない。
「藤堂さん。こっち、台帳記帳と入力終わったから、お願い」
図書準備室からかかる声に、あわてて美咲は振り返る。
司書教諭が顔だけ出して手招きしている。
「は、はい。えっと、新刊の棚でいいんですよね」
「そうそう。それで、古い順から書架の方に戻してね」
貸し出しをスムーズに行なうために
バーコードを貼り付けてあるのを確認してから、
積み重なった書籍を気合いとともに持ち上げる。
ハードカバーに前方を遮られつつも、
横目で視界を確保しつつ新刊コーナーの棚へと向かう。
私立高校の図書室とはいえ、
規模としては県立図書館に引けを取らない。
読書好きの理事長の道楽のおかげで
設備にも手間をかけただだっ広い図書館は、
ここ数年、学生だけでなく一般にも門戸を開いている。
土日の開放も積極的に行っているため、
学校勤務の司書教諭だけでなく、
アルバイトの司書も補充された。
そのアルバイトの一人として臨時採用になれたのは
美咲にとっては幸運としかいいようがなかった。
学生が使うための校舎との渡り廊下で通じる扉の隣には、
一般客用の入り口も用意されている。
蔵書の量といい、館内の雰囲気といい、
まさに理想的と言っていい職場だった。
今日はすでに入学式が終わり、
一般客のみがまばらに読書を続け、
館内はひっそりと穏やかな空気に包まれている。
かすかに響くエアコンの音。
絨毯に吸われる足音。
不規則にめくられるページの乾いた音。
書架に戻される時の、本同士が擦れ合う密やかな摩擦音。
それら全てが、
乱してはならない静寂を引き立てていた。
そのような静謐を、美咲は懐かしむように愛していた。
心地よい空間を感じながら、
美咲は重ねた本を絶妙のバランスで運び、
その図書館の名物である、天井まで届く大きな柱の前に来た。
それは、大人三人が手を繋いだほどもある珍しく太い柱だった。
角柱でもなく、ただの丸太でもない、
出節の多い変木丸太で、滑らかな木肌の美しい柱だった。
木の材質までは知らないが、
相当古いものだということはわかる。
図書館の中央にあるその柱を避け、
美咲はその先に向かおうとしーー
「!?」
誰かにぶつかった。
勢いで、持っていた本が横から滑り、
続いて、館内の静けさを無作法に乱すいくつもの落下音。
「申し訳ありません!!」
小声で周囲に謝り、手から離れた本を拾おうとしゃがみこむ。
新刊なのに、ページに折れ目でもついたら――
美咲は自分にがっかりした。
大好きな本を落としてしまったことを。
そしてなにより、この沈黙を壊してしまったことを。
慌てて近いほうの本を拾い上げてから。
ふと、遠くに滑った本を拾ってくれている学生服の男子が見えた。
どうやら、彼にぶつかったらしい。
この学校の制服。
ブレザーに横から見える紺のネクタイ。
紺は3年生の色だ。
入学式の帰りに、本を借りるか、
勉強しに来たのだろう。
ぶつかった上に本を拾わせてしまうとは、
重ね重ね不調法だと反省する。
「ごめんなさい、大丈夫?」
本を重ねながら、問う。
「ああ。そっちこそ」
一番上に重ねた本がわずかにずれ、
咄嗟に、手を伸ばす。
だが、もう一方の、
自分より大きな手のほうが、早かった。
伸ばした手が重なり、
けれど美咲はすぐに動けなかった。
触れた手の温かさに、
動けなくなった。
なぜか相手の手も、
動かなかった。
それが、美咲と
時枝慎也の出逢いだった。
瞳と瞳が出合ったとき、
なぜか、泣きたくなった。
あまりにも長い間、出逢わなかった
懐かしい人に出逢えたように。
ずっと待っていた人に、
出逢えたように。
心が、震えた。
――柱を回って、互いが出逢う場所で、
寿ぎし、褥をともにする。
それが国産みの神話だ。
先に声をかけたのは確か女神の方だったと、
美咲はぼんやりと思った。
――本来、男神が先に寿ぎの言葉を述べるところを、
女神がしてしまったので、
二神の間に産まれた子どもは、
手も足もなく、器すら持たぬ蛭子であったという――
Ending Song KOKIA「ありがとう…(KOKIA’s Version)」
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
この物語が、あなたの今日にそっと寄り添えますように。
世界観や登場人物の補足は、こちらにまとめています。
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