高天原異聞|第一章 甦神|3 告白

創作

3 告白

Opening Song  小田和正  生まれ来る子供たちのために

 

閉館時刻になり、
すでに館内には美咲と慎也しかいなかった。

「美咲さん、鍵かけるよ」

慎也が一般用の出入り口のところで声をかける。

「私がかけるわ。もう帰って」

「これくらいできるよ」

「だめ、私の仕事よ。
​​ さあ、もう出て。
​​ 手伝ってくれてありがとう。またね」

強引に慎也を一般用の入り口から出すと内鍵をかける。

校舎と通じる入り口の鍵も確認すると、
美咲は館内の電気を消し、事務室に戻る。

ロッカー室からジャケットとバッグを出すと
事務室内の電源の消し忘れがないか確認し、
給湯室のガスの元栓を閉めて、
セキュリティのチェックボタンを押す。

いつもどおりの機械音が鳴るのを確かめ、
玄関を出ると鍵を閉め、
さらにセキュリティカードを差し込んでセキュリティを完了する。

カードをボックスにしまうと、

「終わった?」

「きゃあっ!」

いきなりかかった声に、美咲は驚いて叫んだ。

振り返ると、慎也が立っている。

「な、なんでまだいるの!?」

「美咲さんが出てくるの、待ってたから。
​ ​暗いから、送っていくよ」

「お、送らなくていいわよ。遠くないから」

「じゃ、美咲さん、先行って。
​ ​俺、無事に帰れるか後ろついてくから」

「――」

どうやら美咲を一人で帰す気は、慎也にはないらしい。

息をつくと、美咲はさっさと歩き出した。

慎也はその後ろを少しだけ離れて歩いてついてきた。

左に曲がれば大通りに出るが、あえて美咲は直進した。

大通りでは人目につきすぎる――そう考えたからだ。

しかし、人通りの少ない路地を足早に歩いても、
慎也は一向に構わないらしく、
たちまち美咲の隣に追いついた。

「どうして隣に来るのよ!?」

「誰もいないから」

慎也は淡々と言った。

「人に見られたら困るんでしょ?
​ 今なら誰もいないよ」

「誰か来たらどうする気?」

「後ろに下がる」

ああいえばこういう慎也に、
美咲はすでに逆らう気力をなくしつつあった。

しかも、大好きな本の話題をふるものだから
無視もできない。

周りを気にしつつ応える美咲に、
慎也は声を立てずに笑った。

「美咲さんは心配性だなぁ」

「――」

 

幸いなことに美咲が選んだ通りは
大通りから二本離れているだけなのに、
驚くほど人気がなかった。

誰ともすれ違わぬまま住宅街ももうすぐ終わって、
また大通りへと出る手前に、美咲の借りているアパートがある。

角の手前の、
明かりのついていない住宅の脇の電信柱のところで、
美咲は立ち止まった。

「もうすぐそこのアパートだから」

「じゃ、アパートの前まで。
​ ​美咲さんが無事に部屋に入るの見届けてから」

「――」

美咲は困ってしまった。

勤め先の学校の生徒と
一緒に歩いているところを見られたらと思うと
帰り道でさえひやひやだったのに、
慎也はそんなことはお構いなしだ。

自分は社会人。

相手は未成年でしかも学生なのだ。

どう考えても何かあったら美咲に非がある。

「あのね、本当にここでいいから、もう帰って。
​ ​​それから、今度から送ってくれなくていいわ。
​ ​困るのよ、こういうことされると」

「俺が勝手にしてることだから、困らないで。
​ この辺は大通り以外、女の人の一人歩きは危険なんだ」

意を決して、美咲は言う。

「迷惑なのよ。
​ ​図書館にいる間は、図書委員だもの、手伝ってくれてありがたいけど、
​ ​館外では構わないでほしいと言ってるの」

「それは、できないな」

「どうして!?」

「美咲さんが、好きだから」

さらりと、慎也は言った。

美咲は一瞬耳を疑ったが、はっと我に返る。

「からかってるんでしょう?」

「からかってないよ。
​ ​真剣に、美咲さんのこと好きだよ」

声音が変わる。

「美咲さんに初めて会った時、
​ ​ずっと会いたい人に逢えたような気がしたんだ」

いつもの穏やかな表情が、怖いくらい真剣になる。

「美咲さんもそう思わなかった?」

「……そんなこと」

否定しようと思ったが、できなかった。

「思ったよね。
​ だって、美咲さん、俺のこと見て驚いた顔してた。
​ 泣きそうな顔、してた」

「……してないわ。
​​大体、あなた年下でしょう?
​​しかも、勤めてる学校の生徒じゃない」

慎也に背を向けて、足早に去ろうとした。

だが、慎也のほうが早かった。

美咲は腕を取られ、
住宅の間の塀と塀の影に引き寄せられた。

そのまま慎也は自分の体も割り込ませ、
美咲を塀に押し付けるように、
ぎりぎりまで近づいた。

「ちょ――放して!」

「ダメ」

今までにない距離感に、
美咲はそれ以上動けない。

顔を上げると、慎也の顔がすぐ近くにあった。

咄嗟に顔を背ける。

だが、頬に触れそうなほど慎也の顔が近づき、
低く囁くように近く響く声に、
それ以上どうすることもできなかった。

「俺のこと、学生とか年下とかってだけで、遠ざけないでよ」

身体が震えた。

力が抜けるように。

「美咲さん、こっち向いて」

「……だめ……」

慎也の唇が、
頬のすぐ傍でささやいている。

少しでも動けば、
唇はたやすく重なるだろう。

「キスしたい。
​ ​​こっち向いてよ。向いてくれたら、
​ ​今日はこれ以上我儘言わないで大人しく帰る」

「やめて、こんなところ人に見られたら……」

「誰も来ないよ。来ても、構わない。
​ ​美咲さんがこっち向いてくれるまで、俺は待てる」

塀と背けた頬の間に慎也の手が差し入れられる。

「……」

「美咲さんとキスしたい。させて――」

背筋が甘く痺れる。

頬に触れるぎりぎりで、
慎也の手は止まっている。

触れていないのに熱く思うのは、

相手の熱か。
自分の熱か。

美咲は、
今度はその熱から逃れるように顔を背けた。

そして。

唇が、わずかに触れた。

その瞬間、泣きたくなった。

わけのわからない感情に。

ずっとこの時を待っていたように。

このぬくもりを感じるために、生きてきたように。

「――」

「――」

一度離れた唇が、
頬から離れた手が、

もう一度優しく、
けれど確かに、触れ合った。

抵抗もできずに。

温もりだけが伝わる。

長いような、
それとも短いような時間が流れ――

やがて慎也は美咲の頬から手を離した。

我に返ったように美咲は慎也を押し退けて
狭い空間から出る。

幸い路地には人の気配は全くなく――

美咲はほっとすると同時に
震える足を足早に動かして大通りへと歩き出す。

「ごめんね、美咲さん」

背後からかかる声に、思わず足を止めて振り返る。

慎也は美咲を愛おしそうに見つめていた。

「でも、好きだよ。
​​​​ 早く、俺のこと好きになって」

心が震える。

「――」

返事もできずに、
美咲は走って自分のアパートの扉の前に来た。

震える手が鍵を開けるまで、
ほんの少しのはずなのに、
とても長く感じられた。

中に入って、アパートの鍵を閉めると、

「――」

そのまま、玄関に座り込んだ。

唇には、
さっきまでの熱と甘い感触が残っていて、
心だけでなく、鼓動さえ震わせる。

――俺のこと好きになって。

最後の言葉が頭を離れない。

「……遅いわよ」

認めたくなんかなかったのに。

もうとっくに、好きになっていた。

 

 

 

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

この物語が、あなたの今日にそっと寄り添えますように。

世界観や登場人物の補足は、こちらにまとめています。
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