「生きる」ということ

つれづれ
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生きるとはどういうことなのか。自分はなぜ生きているのか。どう生きたいのか。

みなさんも生きている中でこんな風に考えたことはありませんか。

私は常々考えていました。
そして、今も考えています。
多分息が止まるまで考え続けるでしょう。

その結果、このブログを始めることにしました(笑)

結論から言うと、この問いに対する答えは、「自分のなかにすでにある」ということです。

ですが、誰もがそれを見つけて、納得できるかというとそうではないでしょう。
誰もが生まれ育った環境の中で得た常識や知識、価値観、信条など様々なものによって構成されています。
それに加え、遺伝的な要素も入ってくるとまさに千差万別、十人十色、例え一卵性双生児であっても、同じ人間は一人もいないからです。

私はアラフィフで、おひとりさま、さらに無職、実家を離れてアパート暮らし、家族とも疎遠。
これだけでも、私にとっての答えが、みなさんの答えと違っていても無理はないと思います。
寧ろ違っていて当たり前だと思ったほうがいいでしょう。
同じだと思った方とは思いを共有できますし、違うと思った方とは新しい気づきを相互で得られるという一石二鳥的な認識でいてくださると嬉しいです。

 

私にとって生きるとはどういうことなのか。自分はなぜ生きているのか。どう生きたいのか。

  • 生きることは我慢すること
  • お金を稼ぐために生きている
  • 何もせず、誰とも会わず、無人島のようなところで生きたい

これが前まで私が思っていたことです。
ぶっちゃけ、あまりにも生きることに耐えがたい出来事や時間が多すぎて、早く時間が過ぎて、年をとって寿命が尽きないかなと思っていました。
そして、そんな風に思いながらも、全くそうではない振りをして「先生」として働くことで、さらなる罪悪感とストレスを抱えて生きてきました。

そんな自分に嫌気がさしながらも何とか生きてこれたのは、私の話を聞いて共感してくれた人、これだと思うことになんでも挑戦したこと、癒しになってくれたもののおかげです。
愛してくれた人、友達、同僚、教え子、師匠とも呼べる先生、推し、創作活動、本、漫画、音楽、映画、ネット、宝石、ゲーム、新しい体験、美味しい食べ物、美しい景色、安全な部屋、私だけの家――それら全てが私を今も生かしてくれていることに感謝しています。

今の私がしたいこと。

たくさんのことに挑戦して自分を奮い立たせてきた私は、今年に至って「どう生きたいか」という答えだけはようやく顕在させることに成功しました。

ありのままの自分で、楽に生きたい。
死ぬときは、後悔しないで死にたい。

これまで、たくさんの「自分ではないもの」のために多くの時間を割いて生きてきました。
怒りを抑え、我慢することが当然なのだと思っていました。
あるはずのないものを探して彷徨い、希望を抱いては失望してきました。
都合よくいいように扱われていることを否定しながらここまできました。

それをやめて、本当の意味で一人で生きていくための第1歩が、このブログです。
始めたばかりのひよっこですが、たくさん悩んで試して、たくさんの成功と失敗を繰り返してきたことは、決して遅くないし、願えばいつだってどこからだって始められると信じています。

これから、私が生きていく中で試行錯誤してきたこと、経験してきたこと、ついには悟ったことを発信していきます。

もし、縁あってこのブログを見つけて、少しでも似たような悩みをもつ方が自分の答えを見つけて楽になってもらえたら、きっと私のこれまでの生き方も無駄にはならないでしょう。

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