※End of a dayーー一日の終わり
輪廻転生りんねてんしょうはあるのか
前編では、宗教や神様についてお話しました。
では、別の質問をしましょう。
生まれ変わりを信じますか?(笑)
これもまた、信じるか信じないかが分かれる問いですね。
私は、
「あるかもしれないけれど、信じきれない」
と思っていました。
理由は簡単です。
本や雑誌、テレビで読んだり見たりしたことはあっても、
私の身近に、生まれ変わった人がいないからです。(笑)
小説や漫画の人気ジャンルは”転生もの”です。
派手な魔法やチート能力などファンタジー要素が満載です。
「転生もの」とひとことで言っても、
その中にはいくつもの流れがあります。
異世界に生まれ変わる物語、
歴史の人物として再び生きる物語、
死に戻り、人生をやり直す物語、
前世の記憶を思い出し、悔いを晴らす物語、
そして、同じ世界のどこかで魂が巡り合う物語。
どれもたいへん面白く、読みごたえ、見ごたえがあります。
ですが、これはあくまでもフィクションです。
現実ではありません。
同様に、私にとって”生まれ変わり”は、物語の中だけであって、
現実として、会ったことも、確認したこともなかったからです。
宗教は生まれ変わりを信じるのか
生まれ変わりという考え方は、宗教ごとに形を変えながら、
けれどどこか共通して、 “死は終わりではない”という
静かな願いを抱いています。
仏教では、輪廻は苦しみの連続であり、
そこから解き放たれることが救いだと言われます。
ヒンドゥーの世界では、魂は永遠で、
何度も生まれ変わりながら成長していく旅人のように描かれます。
一神教では、生は一度きりの直線で、
その先に神の裁きが待つとされますが、
それでも人々の心の奥では、 “もう一度会いたい”という
祈りが静かに息づいています。
そして日本では、
神と人、自然と霊の境界がゆるやかに溶け合っていて、
生まれ変わりは、
「あるかもしれないし、ないかもしれない」
という、やわらかな余白の中に置かれています。
信じることも、信じないことも、 どちらも否定されない。
必要な人が、必要なときに、 そっと手を伸ばせばいい。
そんな日本の宗教観の中では、
生まれ変わりは“教義”ではなく、
ただ、心を支えるための静かな物語として
私達のそばに寄り添っているのだと思うのです。
天国はあるのかもしれない。
浄土もあるのかもしれない。
黄泉もあるのかもしれない。
地獄もあるのかもしれない。
だとしたら。
死は、永遠の別れではないかもしれない。
生まれ変わることもあるのかもしれない。
信じるか信じないかの選択は、常に自身に委ねられているのです。
虚構か、実話かーー
私は、死と音にまつわる数々のスピリチュアルな体験をしましたが、
霊と交信したことはありません。
聴覚優位だからなのか、姿を見たことがないのです。
金縛りにあったことはありますが、
これは体が眠っていて、脳が起きている状態で起こる現象なので、
どうやら違うらしいです。
子供の頃はコックリさんなど流行っていたのでやりましたが、
十円玉が動いても、自分以外の誰かが動かしている可能性が高く、
霊の存在を証明することはできませんでした。
お墓に行っても、人魂も見たことはないですし、
霊場に行っても、何も起こらず観光して帰り、
写真を撮っても、心霊写真は全く写りもしませんでした。
父方の祖父母、母方の祖父母がなくなっても、
伯父伯母がなくなっても、
彼女が亡くなっても、
父が亡くなっても、
姿だけは見ることはないままでした。
だから、私にとっては、
人は死んだらもう二度と会えない。
転生など、物語の中のことだけだ。
ということしか実証できなかったのでした。
そんな私が、生まれ変わりを信じるにいたるようになった
ある出来事があります。
これは、
私が信じる、私に起こった、
とても哀しくて静かに優しい、
スピリチュアルな物語です。
そして、
限りなくフィクションに近いノンフィクションです。
あるいは、
限りなくノンフィクションに近いフィクションなのかもしれません。
無力な自分に打ちのめされた日々
教員人生で最高の日々を過ごしてから、また流離いの日々を送り、
とある小学校を7月で終わる際、
次の小学校に行くまでにかなり時間に余裕がありました。
その頃には、
2、3カ月の休みはロングバケーションだ、ゆっくり体を休めよう
と気安く考えておりました。
ですが、
その時の校長に、急に、次の小学校に行くまでに2か月ほど、
病休の先生の代わりに中学校に行ってほしいと言われました。
正直、嫌な感じしかしませんでした。
小学校免許も通信教育とスクーリングでとっていて、
小学校の勤務のほうがすでに中学校より長かったし、
最後の中学校があまりいい思い出もなかったため、
中学校にはもう行きたくなかったのです。
それでも、2か月ほどなら我慢できるだろうと、
結局引き受けました。
この時の自分の直感を信じるべきでした。
最もつらい出来事の一つになると知っていたら、
自分の嫌な予感に従って断っていたら、
あんなに苦しむことはなかっただろうに。
次の学校の繋ぎのために行った中学校はなかなかに荒れていて、
心休まる暇がありませんでした。
それでも、次の小学校に行くまでの、ほんの2か月ほど、
少しくらい我慢すればいいのだと、日々を過ごしていました。
荒れてやさぐれた中学生の指導は、本当に苦しかった。
そんな中で、彼は大人しく優しい男の子でした。
教卓から向かってやや左の、前から二番目の席で、
私の話を静かに聞いて頷きを返してくれる子でした。
正直、彼とはそんなに親しかったわけではありません。
中途で、代わりに来た私と彼に、接点はほとんどなく、ただ、
授業を真面目に聴いてくれるいい子だなあという印象だけでした。
二学期の終わりも近づくテスト週間で、部活もなく、
子供達は授業後にすぐ帰り、私達教員はテストを作り、
六時も過ぎて外はもうほぼ暗くなりつつあり、帰ろうとした時、
職員室の電話が鳴りました。
彼のお母さんからでした。
まだ、家に帰ってきていないが、学校にいるのかと。
残っていた職員は全員捜しにいきました。
男の先生達は散らばって繁華街を。
私と彼の担任は寒さに震えながら河川敷を。
1時間ほど彼を捜しながら、おかしいと思いました。
彼は、とても賢い子でした。
普段、ゲームセンターに行くようなこともないと聞いていました。
今日は、授業が終わってから、質問にも来た。
漢字の書き方で、黒板に書いて見せ、
これだと点数はとれるのかと聞いてきた。
私は、これだと点はあげられないなと笑って答えた。
業間が短かったから、すぐに鐘がなり、
私は職員室へ、彼は次の授業に戻った。
彼の様子は何も変わりはなかった。
テストを受けるつもりだった。
だからこそ、質問をしてきたのだ。
みぞれ交じりの雨が降るような、この寒い時期に、娯楽もない、
暖をとれるようなところも何もない河川敷になんか来るのだろうか。
見当外れなところを私達は捜しているのではないか。
その時、以前働いていた僻地の学校の子を思い出しました。
その子は登校時刻に学校に来なかったので、
担任が家に電話をしたら、普通に家を出て行ったとのこと。
慌てて私達は熊も出没する長い農道を車で捜しに出かけました。
みんなが大騒ぎで捜す中、その子は家にいたのです。
登校するのが嫌で、登校した振りをして家を出て、
こっそり家に戻って部屋に隠れていたのです。
彼も同じように家にいるのではないか。
そう思いました。
担任に、
彼は家にいるかもしれないから、
もう一度母親に確認してもらってはどうか
と言いました。
電話をかけたのか、来たのか、もう覚えてはいませんが。
携帯電話で話す担任の先生の表情が見る間に変わっていったのが、
今でも忘れられません。
結論から言うと、彼は、やはり家にいました。
すでに亡くなっていました。
電気が消えていたので、帰ってきていると気づかなかったのです。
それからは、全てが目まぐるしく過ぎ去りました。
事情を説明するために担任に付き添い、
学校に戻って緊急の会議、
家に戻ったのは、夜中の1時過ぎでした。
次の日も学校で緊急の朝会が行われ、授業は自習となり、
悲しむ子供達、黙っている子供達、ひそひそと話す子供達。
そんな中で、一部自分には全く関係ないと無関心な子供達、
いつも通りに傍若無人な態度の子供達に、静かに失望しました。
それでも、この学校とは短い付き合いだ。
もうすぐ終わる。
それまで耐えればいいのだと、自分を慰めました。
それなのに。
テストが終わったある朝の学年ごとの職員朝会。
なぜか校長が喜ばしいことのように。
私がこのままこの学校に3学期も残ることになったと言いました。
寝耳に水でした。
そんなことは聞いていない。
なんで勝手にそんなことになったのか、ぐるぐる考えていました。
周りが拍手していても嬉しくもなんともありませんでした。
職朝が終わって、急いで校長室へ行きました。
私は次の小学校への繋ぎで一時的にここに来たはずなのに、
どうしてそんなことになったのかと。
校長が言うには、次の学校には違う人が行くことになったから、
病休の先生がまだ休むので、私には引き続きここにいてほしいと。
いや、おかしくないか?
なぜ、私が行くはずのところに勝手に別の人が行くことになり、
繋ぎのはずの私が残るのよ。
そして、なぜ、勝手に決められてるの?
事前に私に聴きもせず。
確認もとらず。
私はもう辞めたいと言いました。
これ以上ここにいるのは耐えがたかった。
このまま働きたくない。
このままでは私もだめになるだろうーーそう思ったからです。
私は、きりよく二学期の終わりで
この学校とさよならしたかったけれど、
でも、それも叶いませんでした。
新しく来る人が1月の終わりぐらいに来るから、
それまでいてほしいとのことでした。
辛かった二学期がようやく終わり、
冬休みに入り、
年が明けたその日の朝。
めまいがして、同時に吐き気と腰痛に襲われました。
ご飯など食べられなくなりました。
腰痛でロフトの階段の上り下りができなくなり、
下に毛布を敷いて
ファンヒーターの前で寝ました。
車の運転もできずに1月5日の出校日に、
父に送り迎えを頼んで出勤しました。
病休の先生の代わりに行った職場で、
自分も休みたいとは言えませんでした。
吐き気で苦しみ、
腰痛で立つのもやっとの状態でも、
具合が悪いと言えずに、
教壇に立ち続けました。
そうして、残る冬休みが終わり、
三学期が始まっても体調は戻らないまま、
送り迎えをしてもらい、
なんとか1週間耐え切り、
退職しました。
幹ーーWHY
※WHYーーどうして
それでも、儚い夢を信じて
無力感に打ちのめされていた私は、約二か月、
起きていても寝ていても
めまいと腰痛でベッドの中で苦しみました。
めまいからくる吐き気に苦しむそんな中、ある時、夢を見ました。
彼がいました。
学生服でなく、上スーツに下は半ズボンーーそう、
小学校に入学するぴかぴかの1年生の男の子が、
入学式で着る正装です。
お母さんのスカートの後ろに隠れてもじもじしている、
小さな男の子を見て、私は、
「帰ってきたんだ、よかった」
と言っていました。
目が覚めても虚しいだけでした。
その夢を、信じられなかったのです。
特別な感じのするような夢でもありませんでした。
朧気で、たくさんの夢の中で最後に見たような、そんな夢でした。
その頃にはもう、現実の辛さに、希望を抱くこともない状況でした。
2カ月を過ぎて暖かくなる頃には、
ようやく腰痛がおさまり、めまいも薄れ、
完全とはいかないものの起き上がっても支障のない程度まで
身体が回復しましたが、心は違いました。
それでも、働かなければならず、この2年後、
またしても絶望的な出来事に遭遇すると知らずに、
無慈悲にも、
同じ学区の、
今度は小学校に勤務することになったのです。
すぐに生まれ変わったとして、7年もかかるのに。
最初の数年は。
入学式が来るたびに、
お母さんの影に隠れている男の子がいないか目で捜しました。
けれど、そんな子を見つけることはありませんでした。
新しい小学校にいくたび、似たような子を見るたび、
彼かもしれないと思いながら接しました。
でも、確かめる術などありませんでした。
何年も過ぎ。
半島を出る頃には、そんな期待を抱くことも忘れ、
新しい場所では全て忘れて、ただひたすら地元を忘れて、
辛さは極力思い出さずに働きました。
入学式も、卒業式も、切なさを感じないように
淡々とやり過ごしました。
地元を離れ、新しい地では、本当に幸せでした。
誰も私を知らず、私も誰も知らず、
朗らかで可愛い子供達と、優しい先生方と過ごして、
「ひとりでいることの自由」を満喫しました。
仕事で理不尽なことがあっても、アパートに帰れば自由でしたので、
仕事のことは忘れて好きなことをし、心身のバランスをとりました。
幹ーーgreendoor way
※greendoor wayーー新しい道(意訳)
十八年越しの再会
そうして過ごしてきたある学期末、生活科の授業をしていました。
2年生は、それまでの学校生活を振り返って、
思い出を絵本にする活動をしていました。
写真を貼ってもいいし、絵を描いてもいい。文章だけでもいい。
好きなように自分の思い出を残します。
下書きを書いたら、見せることになっていました。
合格したら、ペン書きや色塗りに入るのです。
進度はその子によって違います。
みんなでわいわい楽しくおしゃべりしながら、
思い出を振り返って活動していました。
私は子供の活動を眺めながら、自分の机にいて、
絵本の下書きを持ってくる子のチェックをしていました。
ある男の子が、絵本をもってやってきました。
「先生、見てください」
と言って。
優しくて大人しい、はにかみやさんです。
1年生では書く活動が苦手だったのに、
2年生になってめきめきできることが増え、嬉しい限りでした。
私は絵本を開き、1ページずつ確認していきました。
その時、1年生の思い出のページに釘付けになりました。
『入学式、お母さんのうしろにかくれていました』
え?
「ーーお母さんの後ろに、隠れてたの?」
私は思わず聞き返しました。
その子は、うん、と頷きました。
すぐ近くにいた同じ保育園出身の女の子が、言いました。
「そうだよ、見てたよ。お母さんの後ろに隠れてもじもじしてたよ」
そうかよ。お前だったんか。(笑)
騒がしい教室の中、思わず叫んでしまいました。
誰にも聞こえなかったでしょう。
聞こえたとしても、わからなかったでしょう。
その子との思い出が、昔と今が、同時に甦ってきました。
なんてことでしょう。
こんな近くにいたなんて。
ずっと一緒にいたなんて。
愛されて、幸せに生きてたんだ。
一緒に、楽しく勉強してたんだ。
あんなに捜してる時は、見つからなかったのに。
二十年近くも過ぎて、とっくの昔に諦めたのに。
こんなこと、あるはずないのに。
ずっと探していた問いの答えを、ようやく見つけた瞬間でした。
※Sunny Sideーー太陽の当たる側
ひとつの答え
この話は、
本当かもしれません。
偶然かもしれません。
誤解かもしれません。
勘違いだとしても。
確かめる術さえありません。
でも、私はその時、もういいんだと思いました。
間違ってなかった。
私はずっと「先生」でいてよかったんだ。
これ以上は「先生」でなくてもいいんだ。
もういつやめてもいいんだ。
この選択で、よかったんだ。
そう思えました。
もう入学式で、
お母さんの影に隠れてもじもじしている男の子を捜さなくてもいい。
もう卒業式で、
この日を迎えることのできなかった子を思って悲しむ必要もない。
そして。
死んでも終わりじゃない。
もう二度と会えないなんて、
思わなくてもいいんだ。
これから私が会う人は、
かつて私が出会った大切な人かもしれない。
今はもう私の思い出の中の人かもしれない。
私達は、また会える。
いつか別の形で。
別の場所で。
新しく。
そんなふうに、全ては流れていくのだ。
ゆっくりと。
静かに。
出会いにも、別れにも、きっと意味があるのでしょう。
そして、私がこうして生きてきたことにも、
やがて確実に、ひとつの答えが訪れるのだと思います。
今はただ、信じるだけです。
たくさんの川の支流が。
いつか必ず。
大いなる海へといきつくように。
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